「君の名は。」のバッドエンド的リアルについての個人的な話

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 先日「君の名は。」を、阿倍野シネマで鑑賞した。もちろん一人でだ。僕にはお好み焼きの粉を2袋イギリスまで届けて欲しいとお願いしてくれる素敵な女の子はいても、一緒に映画を観に行ってくれるような情の厚い女の子はいないのだ。もちろん男友達と連れ立って行くというのも悪くない。そういう友達がいないわけでもない。だが今回は一人で観に行った。前後の予定に余裕がなくて、せっかく一緒に観ても、「この映画に哲学はあったのか。」とか「今度聖地巡礼してみないか。」とか、「伝統というものは形骸化しているという文脈でしか語られないものになってしまったのだろうか。」とか、そんなことをああだこうだ言い合える時間がとれそうになかったからだ。それならば、一人で静かに鑑賞し、一人でその余韻に浸った方がいいだろう。たとえ両隣のカップルが暗闇に乗じてイケない行為に精を出していたとしても。

 

 

 そんなわけで、僕は「君の名は。」を一人で観に行った。先に断っておくが、これは「君の名は。」のレビューではなし、感想文ですらない。日記である。僕の日常の文脈の中で日記の一部分にたまたま「君の名は。」が出てくるだけで、中心的に語るわけではない。だが、やはりこの日記を書くきっかけになったのは「君の名は。」であるのだから、その内容に部分的にでも触れないわけにはいかないだろう。そんなわけで、ひょっとするとやはり、この先重大なネタバレをしてしまう可能性があるので、純粋に映画を楽しみたい方は、ここで読むのを一旦停止していただければと思う。

 

 「君の名は。」という映画を簡単に説明すると、「まだ出会わぬ男女2人が、いかにして出会うか」というテーマが、偶然的に引き起こされる災害を乗り越えるというコンテキストにおいて演出されるものである。そこにおいて2人が、必然的な運命に導かれて、時間的・空間的な距離の差異を、「むすび」を表す伝統的な組紐をキーアイテムにして超越していくドラマが、本作の見どころであろう。空前の大ヒットを巻き起こした所以は、これらのストーリーの表現描写の緻密さであり、美麗さである。そこでは押し付けがましい教訓は省略され、楽観的で淡い期待に裏打ちされた、「ただひたすらに美しい」光景が圧巻の映像として観るものをクギ付けにする。緩やかな時間の流れで穏やかに紡ぎ出される日常の描写と、事件前後の手に汗握る焦燥感が、RADWIMPSの洗練された印象深いギターアルペジオの音の波と見事に調和し、映画の世界に自らの身体が完全にシンクロさせられるのだ。観るものを置いてけぼりにしない親切なストーリー展開と、ディテールまでこだわり抜く表現技術の結晶の賜物を前に、深いため息をつかないではいられないだろう。

 

 

 ところで、僕がこの日記で焦点を当てたいのは、映画の部分的内容に関するああだこうだではない。全く外れて、映画とは別のバッドエンド的なリアルについてである。まあ例えば、「万事尽くすも三葉が助からず、深い喪失感を抱えて生きる滝くんのリアル」のようなものである。そんな仮定の物語であり、結局のところ僕の個人的な物語である。

 

 その物語の中で、僕はおそらく、涙を流しながらガバッと飛び起きるんだと思う。覚めきらない意識の中で、誰かの名前を呼びながら。いったい誰の名前だったのか、意識がはっきりしていくにつれてぼんやり霧散していく不思議なパラドックスを体験するのである。後には、何かを喪失しているという感覚だけが意地悪く残る。それが、僕の日常であり、リアルである。僕は大して頭も良くない癖に、モラトリアムの延長を大学院生というステータスで甘んじている25歳だ。結局アカデミックの世界にこれ以上踏み込む勇気も能力もないまま、3つばかし年下の同期たちと社会のシステムの一端を担う予定である。そう、そういう予定である。

 

 僕は、そういう予定だった女の子を知っている。絶世の美女というわけではなかったが、とても気立てが良くて、いつも何かに気がついては、進んで世話を焼いてくれる小さな女の子だ。彼女の書いてくれる色紙はいつも隅の隅までデコレーションが行き届いていて、書く文字は丸みを帯びて決して乱暴なはらいを伴うことはなかった。僕の知り得た中で最も公平的な目線を持ち、僕のちょっとした意地悪なユーモアを、穏やかな目線でたしなめてくれる、優しい心の持ち主だった。彼女が誰かを拒むことはなかったし、誰も彼女を拒まなかった。

 

 ただし、残念ながら彼女の優しさに関する具体的なエピソードを、ここで書くことはできない。なぜなら、どうしても思い出せないからだ。朧げで、靄がかかっていて、ひどく曖昧なのだ。だが絶対に、絶対に忘れてはならない優しいまなざしが、確かにそこに存在していたという感覚が、何よりの彼女の存在証明なのではないかという感じさえする。そんな風に考えるのは、あまりにも自分勝手であろうか。

 

 とにかく、彼女は突然亡くなってしまった。隕石が落下してきたわけでもないし、1000年に一度の大災害に巻き込まれたわけでもない。年間で4000人以上、毎日11人程度が経験し、命を落としている交通事故が、彼女の命を奪ったのである。彼女が僕に送ってくれた過去のメールや、かわいいイラスト付きで渡してくれたメッセージを読み返すことはあっても、もう僕が実際に彼女の声を聞くことは永遠にないのだ。そして彼女がいなくなってしまった後にも、僕は空腹を感じ、本を読み、恋をするのだ。そんな風にして、もう3年の月日が経とうとしている。

 

 言っておくが、僕と彼女は特別に親密な友人というわけではなかった。僕がEUの移民政策について少し興味があると伝えれば、それに見合った本を選んで貸してもらったり、時間が合えば茶屋町マクドナルドに立ち寄ってお互いの恋愛観について確認しあったこともあった。だがそれ以上のことはなかった。道端にごみが落ちていれば、拾ってごみ箱に捨てるというような、そんな自然な友人関係であった。だから、彼女の突然の訃報が届いたとき、正直言って僕は情けないほどどうしたらいいかがわからなくなってしまった。だって、そんなのって、どう考えたって自然じゃなかったから。

 

 彼女の通夜で、僕は結局のところ一滴の涙も流すことはできなかった。そしてその時から彼女の存在が、僕の心の中で居場所を求めて彷徨い出した。

 「わたしは一体だれだったの。何のために生きていたの。」

 「君は君だ。それ以外の何ものでもないよ。」

 「でもわたしは死んでしまった。わかる?もうご飯を食べることもないし、社会のシステムを担うわけでもない。結婚だってまだしてなかったのよ。」

 「確かにそうかもしれない。でも、君と関わった人はみんな、君のことをずっと覚えている。その記憶は確かなんだ。」

 「絶対って言い切れるかしら。現にあなたはもう、わたしのことを、温度を持った存在として記憶していないのじゃないかしら。人間の記憶なんて曖昧よ。誰もがみんな、ハリーポッターみたいに杖の先から記憶を取り出せるわけじゃないのよ。」

 「僕にはわからないよ。なにせこんなことって初めてだったんだ。初めからうまくはいかないよ。」

 「感じて。感じ続けるのよ。あなたの意識が覚醒する前に。わたしの存在が消える前に。」

 そして僕は、ガバッと布団から飛び起きるのだ。霞がかかった意識のなかで。涙を流しながら。時間を超越する道具が用意されていないところが、この物語を楽観的なものから遠ざけているのである。

 

 結局もし、三葉が助からなかったらどうなっていたのだろう。出会っていたはずの、出会ったはずの三葉が、喪失されてしまったらどうなっていたのだろう。それはもしかしたら、夏休みのない8月のような、味気ない世界になってしまうのだろうか。なら僕の世界は、色を失ってしまったのだろうか。僕にとって彼女は、世界にとって彼女は、いったいなんだったというのだろう。なんと呼べば、いいのだろう。

 「教えてくれ。君は、いったい誰なんだ。僕にとって君は、いったい何なんだ。」

 「頭でわかろうとしてもだめよ。そっちじゃないの。あなたのカラダが知っていることよ。」

 「僕のカラダが知っていること?それだけじゃわからないよ。僕はどうしたらいいんだ。」

 「ジャック・ラカンって知っているかしら。ジグムント・フロイトの驚異的な読み手よ。彼は夢についてこんなことを言っているの。眠りから覚めることは、現実への回帰を表しているのではない。むしろ、夢の中にこそ、あなたも知らない現実がある、と。だから、あなたは夢よりも深い覚醒をしなければならないのよ。」

 「そんなこと、僕にできるかな。」

 「するのよ。できなければ、わたしは永遠にあなたの中で彷徨い続けるしかない。まるで、違う種類のパズルに入れられて、居場所を探し続ける孤独なピースみたいに。」

 

 無理難題のようにも思える。しかし、よくよく考えてみれば、夢よりも深い覚醒というのは、日本人の感覚に馴染みがあるのかもしれない。新海誠は、「君の名は。」の物語のエッセンスは、古今和歌集の次の詩に凝縮されているという。

 夢と知りせば、覚めざらましを

 こんな風に、夢の側に現実があるという感覚は、なにも偉そうに言われなくても自然と身につけてきたのだろう。三葉と滝くんが、夢の中で現実を変えていったように。夢を見て涙が流れたのなら、その涙のふるさとが知っているはずなのだ。言葉が生まれるより、ずっと前から。

 

 だから僕もそろそろ、考えるのをやめようと思う。彼女は、言葉を尽くしても、尽きない存在だから。彼女は、僕の夢の中で、現実に存在しているのだから。彼女が死んで、残ったのは、朧げになっていく記憶ではなく、調子に乗る僕をたしなめてくれる優しいまなざしだ。僕はそんなこと、最初から知っていた。知っていたのに、考えすぎていたんだ。確かに感じる彼女のまなざし。彼女のまなざしを感じながら僕が生きることが、彼女の存在証明になると思うんだ。そんな風にしてようやく、彼女は、僕の中に居場所を見つけたと言えるのかもしれない。胸ポケットに収まった、ボールペンみたいに。

 

 この日記は、「三葉がもし助からなかったら」というバッドエンド的な仮定から始まった。確かに、「君の名は。」の映画で三葉が死んだら、本当にバッドエンドになるだろう。なぜなら、三葉のまなざしなんて映画で全く描写されておらず、滝くんがその後いったいどんなまなざしを感じて生きるのかなんて見当もつかないからである。その意味で「君の名は。」は、主人公2人のごく限られた部分が切り取られているのみで、その他の人間的本質は省略されているのである。断っておくが、これは批判ではなく、確認である。

 

 だが、現実の物語は、同じようにバッドエンドになるとは言い切れない。なぜなら、物語に描かれない、言語化できない彼女のまなざしを、カラダで感じることができるからである。

 

 そんなわけで、僕は、イギリスで留学に挑戦する友人に、お好み焼きの袋を2つ持って行こうと思っている。日本にいる友人一同からのエールが綴られた色紙を携えて。だって、胸ポケットにいる彼女が、そうしたそうな目をしていたから。

 

 「とか言って寝坊したりしたらどうしようかな。」

 「だめよ。」

「応答」としての被災者支援―『しんがりの思想―反リーダーシップ論』を読んで

 

 

Reviewer: 崎浜公之

Date:2016.4.21

Author: 鷲田清一

Year:2015

Title:しんがりの思想―反リーダーシップ論

Source: 角川新書

Index:

第1章 「成長」とは別の途

「右肩上がり」を知らない世代の登場

「右肩上がり」の世代―意識から抜け落ちた未来世代のゆくえ

<成長>と<縮小>のジレンマ?

「経済成長」の脱神話化へ 現代の「孤立貧」

<縮小社会>への途 制御不能なものの上に

経世済民」の消失

「押しつけ」と「おまかせ」のあわせ鏡

市民の力量が問われている

 

第2章 サービス社会と市民性(シティズンシップ)の衰弱

「顧客」という物言い

いのちの世話とその「委託」

市民の無能力化 <中間>の消失

商店街のノスタルジー?

<消費>が基準になっているまち―<便利さ>と<快適さ>に押し流され

プライベートなものが充満するまち

“ワーク・ライフ・バランス”の意味再考

社会的共通資本という考え方

 

第3章 専門性と市民性のあいだの壁

専門家主義と市民の受動化

トランスサイエンスの時代

科学技術は専門家にまかせるには重大すぎる?

「理性の公的使用」

制度の射程距離

専門家と市民のディスコミュニケーション

プロに委託する?

制度の内・外の境界でなされるケア

市民性の再建へ

 

第4章 「しんがり」という務め フォロワーシップの時代

「観客」からの脱却

全員に開かれているということ

「しんがり」の思想

「しんがり」の務め フォロワーシップの時代

松下幸之助の味わい深いリーダー論

言葉の倫理

 

第5章 「押し返し」というアクション 

新しい公共性の像

無縁社会

ひとを選ぶ社会

選別でない選ばれ

パートということ

無縁の縁

分断の深化

あえてみずからをヴァルネラブルに―ボランティアという活動

「身を消す」ひとたち

「押し返し」というアクション

責任未満の場所から立ち上がる責任

「新しい責任の時代」

リベラルということ

未来からのまなざし

 

Review

 

本書は、一つの目的のためにある組織におけるリーダーシップ論に対する批判を行っているわけではない。開かれた集合態、たとえば地域社会、NPOやもろもろの教育機関などにおいて、皆がリーダーになろうとする社会がうまくいくはずがないと指摘し、反リーダーシップ論を展開している。

 

まず第1章、第2章では、人口減少や経済成長の限界を例にあげ、社会としてダウンサイジングしていく必要があると述べている。つまり、右肩下がりの社会である。このような社会では、何が最も重要で何が余分で諦めるべきかを優先順位をつけていくほかない。しかしながら、近代化の過程で<いのちの世話>をシステムやサービスに依存するようになった現在の私たちに、その選択ができるだろうか。鷲田は、村八分の例を挙げてこのようにいう。「村八分という言葉がある。かつて村の掟や約束を破った者、秩序を乱した者に対してなされた制裁行為のことである。村での生活にはたがいに協力することが義務づけられた十の仕事がある。出産の手助け、看病、改築・葺き替えの手伝い、消化、水害時の助け合い、成人式・結婚式の手伝い、埋葬と追善法要の手伝い、旅行の世話である。村八分という制裁は、このうち消化と埋葬を除く八分を断つ事を意味した。―中略。村十分のいったいどれだけを、今日わたしたちはしているだろうか、できるだろうか。たぶんゼロだろう…。」 消費を基準とした社会において、<いのちの世話>までシステムとサービスに「おまかせ」し、なにかあれば責任を「押しつけ」ていたが、右肩下がりの社会では、一人一人が「何かを諦める」決断をしていかなければならない。市民としての力量が問われている。

 

第3章、第4章では、「最終的には社会的な価値判断によって決定するしかないような」問題について、いかに市民が決定していくかの考え方を提案している。それがフォロワーシップであり、しんがりの思想である。だがその説明の前に、まず専門家主義について批判している。例えば、環境問題、エネルギー問題、地域社会の課題等については、専門家もまた「特殊な素人」ないしは「部分的な専門家」であるに過ぎないことを確認した上で、カントの述べた「理性の公的使用」について言及する。「理性の公的使用」とは、「たまたまじぶんに恵まれた知的才能を、じぶんのためではなく、他者たち、もっと正確にいえば人類のために使うということである。」ここで興味深いのが、カントがこれに対して「理性の私的使用」と呼ぶのが、プライベートな知性の使用、つまり自己利益のための個人的使用のことではないとしていることだ。カントによれば、「私は、自分自身の理性の公的使用を、ある人が読者世界の全公衆を前にして学者として理性を使用することと解している。私が私的使用と名付けているのは、ある委託された市民としての地位もしくは官職において、自分に許される理性使用のことである」(『啓蒙とは何か』)つまり、特定の社会や集団のなかでみずからにあてがわれた地位や立場に従って振る舞うこと、割り当てられた職務を無批判的に全うすることが「理性の私的使用」なのであると。これをもとにすると、専門家が専門の領域で知性を使用することは、「理性の私的使用」に他ならない。しかし、必要とされているのは、ある集団や組織のなかで配置された地位や業務から離れて、知性を用いることである。このような「理性の公的使用」を体現する一つの姿勢がフォロワーシップであり、しんがりの思想である。 「しんがり」とは、合戦で劣勢に立たされ退却を余儀なくされたときに、隊列の最後部を務める部隊のこと。限られた軍勢で敵の追撃を阻止し、味方の犠牲を最小限に食い止める。また、登山のパーティーで最後尾を務めるひとも「しんがり」という。「しんがり」だけが隊列の全体を見る事ができ、全体のフォローを行う。つまりまとめると、だれかに、あるいは特定の業界に、犠牲が集中していないか。このままではたしてもつか。といった、自らの専門性を超えた全体のケア、各所への気遣いと、そこでの周到な判断こそ、縮小してゆく社会に必要なフォロワーシップの心得であり、しんがりの思想であると鷲田は述べるのである。

 

最後に、第5章では、IターンUターンに見られるように、外部に委託した<いのちの世話>を取り戻そうとする個人の動きや、単なる消費活動であった購入を、応援している商品を「選ぶ」という風に捉え直す動きに見られるような、制御不能なグローバル経済の抵抗しえない流れに個人で立ち向かう動きを、鷲田は「押し返しのアクション」と呼ぶ。そしてそれはまた、「責任未満の場所から立ち上がる責任」であると述べる。ここでいう責任とは、respond+abilityという語源から、応答可能性、つまり応答の用意があることを言う。責任とは、「誰かに待たれていること」という感覚なのである。社会のシステムに生活をそっくり預けるのではなく、責任問題が生じる未然から応答の用意をしていくこと、そのような姿勢を一人一人が持つことが重要である。

 

さて、熊本地震に対し、様々な人々が様々な場所で活動を展開している。通告止めマップを作るもの、情報サイトをまとめるもの、避難所での生活の注意点をわかりやすく解説するもの…。それらは、単体で見れば非常に有用なものが多いし、その出来映えは非常に質が高いものが多く、発見する度についつい私も反射的に他の人に「シェア」したくなってしまう。

 

しかしながら、本書を読み終えた今、私たちが再度注意深く反省しなければならないことがあるとすれば、それが「理性の私的使用」になっていないかという点であろう。つまり、それぞれがそれぞれの持ち場で出来る(と規定している)ことのみを全うし、本当に重要な<いのちの世話>を忘れていないかということだ。<いのちの世話>とは言うまでもなく、被災者の支援だ。当然だが、被災者なくして被災者の支援を行うことはできない。しかしSNS上では、様々な支援が情報提供という形で行われているように見える。楽観的に見れば、震災が起こった直後から、有益な情報がこうもたくさん発信される社会というのは、災害を多く経験した日本の一つの達成とも言えるかもしれない。しかしながら、ここではたと立ち止まって考えなければならないのは、その情報(とその行動)は被災者に「待たれているか」ということである。つまり、震災直後に情報が溢れ出すというのは、鷲田の言う「応答」ではなかろう。言わば反射である。このように反射的に生産された情報は、被災者に対して「ああした方がいい。それはいけない。これだけは忘れないように。」という形で、ある一定の解に向かって導こうとする。まるで一つ一つの情報が被災者をぐいぐい引っ張るリーダーシップをとろうとしているようにも見えてくる。まさに現在のこのような状況が、鷲田が示唆するリーダーシップの弊害ではなかろうか。であるとすれば、やはり「応答」としての被災者支援、<いのちの世話>全体へのケアを考えるしんがりの思想が、被災現場においても求められているのかもしれない。

文豪の紀行文を読むこともまた味わい深い

Reviewer: 崎浜公之

Date:2016.4.6

Author: 村上春樹

Year:2015

Title:ラオスにいったい何があるというんですか?

Source: 文藝春秋

Index:

チャールズ河畔の小径―ボストン1

緑の苔と温泉のあるところ―アイスランド

おいしいものが食べたい―オレゴン州ポートランドメイン州ポートランド

懐かしいふたつの島で―ミコノス島、スペッツェス島

もしタイムマシーンがあったなら―ニューヨークのジャズ・クラブ

シベリウスカウリスマキを訪ねて―フィンランド

大いなるメコン川の畔で―ルアンブラハン(ラオス

野球と鯨とドーナッツ―ボストン2

白い道と赤いワイン―トスカナ(イタリア)

漱石からくまモンまで―熊本県(日本)

あとがき

 

Comments

 

文豪の紀行文を読むこともまた味わい深い。

 

普段はクールで含蓄に富んだメタファーたっぷりの文章を書く村上も、紀行文となれば旅先で得た感動や知見を素朴に描写するに徹している。これを読めば、小説作品の文章とはずいぶん違った印象を受けるに違いないだろう。そして注意深く読み込めば、紀行文にはやがて小説作品の骨子を担うことになる様々なエピソードが散りばめられていることに気づく。

 

例えば、村上作品の主題が大きく転換し、後期村上作品の端緒と評されている「ねじまき鳥クロニクル」は1993年に出版されているが、執筆にあたり1991年に訪れたノモンハンの鉄の墓場が大きく影響している。そこで村上は、生々しく残された戦車や砲台の跡を目にし衝撃を受ける。この衝撃は紀行文「辺境・近境」にまとめられることになるが、小説作品では後期村上作品の最大のテーマである「根源的な悪」として象徴的に登場することになる。私たちは、紀行文と小説を行き来することで、二つを貫く根幹的な主題に気づいていくことができるのだ。

 

そういう意味で、文豪の紀行文を読むことはまた味わい深いのだ。 紀行文を読めば小説作品に対する発見があり、小説を読めば紀行文に起源を辿ることができる。何度も重ねて行くごとに味は深まり、濃厚な読書体験をすることができるだろう。

 

先に紀行文から読むという手もある。今回がそうだ。

まだそれに該当する小説作品が出ていないためである。

 

ラオスにいったい何があるというんですか?」の中では、メコン川の畔のルアンブラハンという町で、村上が宗教の物語性に驚くシーンがある。なんでも、その町ではほとんどの住民が、縷々伝わる数多くの宗教の物語をほぼ完璧に暗記しているのだ。宗教の物語は信仰する者にとって世界認識の規範や思惟の源泉となるものなので、共有していることが前提となっているのである。このため、住民がかくも数多くの物語を共有していると村上は考察している。

 

このような旅先での考察は、折に触れて小説作品の中で取り上げられていくだろう。それがどのような形で表象されるのかは、現時点では村上自身にもわからないだろう。しかし、今後出版される小説作品の中で、「あ、ここはラオスでの体験のことを言っているな…!」という発見をしたときの、まるで宝物を探し当てたような喜びはまさに読書の醍醐味といっていいのではないかと思う。そしてそのような発見をしてしまえば、また紀行文を読み返し、小説作品を読み返しと、まるで底知れない螺旋階段を下るように、村上世界の深奥への旅を始めなくてはならないのだ。

 

さぁ、読書の旅を始めよう。

まだ、どのような小説作品に行き着くかわかっていないこの紀行文から。

行き先のわからない読書なんて、まさに旅ではないか。

人口減少下における地方創生を考える〜地方消滅論に農山村はどう向きあうか〜

昨日、話題の小田切徳美氏の講演会が兵庫で行われたので、

それに行ってきました。

おもしろい内容だったので、内容のまとめと感想を書きました。

もし良ければ読んでみてください。

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◯プログラム

■開会挨拶

 公益財団法人ひょうご震災記念21世紀研究機構

 理事長 五百旗頭 真

■基調講演

 「人口減少下における地方創生を考える〜地方消滅論に農山村はどう向きあうか〜」

 明治大学農学部教授 小田切 徳美

■報告

 ・「リスボン地震とその文明史的意義の考察」

 室崎 益輝

 ・「自然災害後の土地利用規制における現状と課題〜安全と地域持続性からの考察〜」

 人と防災未来センター研究員 荒木 裕子

 ・「災害時の生活復興に関する研究〜生活復興のための12項」

 室崎 益輝

 

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◯基調講演(レポート)

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田切 徳美氏

 

 本講演は、安倍内閣の下立ち上がった「まち・ひと・しごと創生本部」の進める「地方創生」に対する反論・批判を動機に執筆された、『農山村は消滅しない』(小田切徳美,2014,岩波新書)をわかりやすく一般講演用にまとめられたものであった。「地方創生」というポジティブなキャッチフレーズとは裏腹に、それが根ざしているのは『地方消滅』(増田寛也,2014,中公新書)でまとめられている「地方消滅論」である。「地方消滅論」の犯した取り返しのつかない罪深い点は、896もの特定の市町村を乱暴な推計により「消滅可能性都市」として名指ししたことである。これにより、「消滅」というネガティブなキーワードが一人歩きを始め、名指しされた市町村の住民に、自らの地域に対する「諦め」の気持ちをもたらしている。そして、連動するように自らの地域からの「撤退」をすすめ、財政の「選択と集中」を企てる。小田切氏は、「地方創生」は「農村たたみ」であるという痛烈な批判を発している。

 「地方消滅論」への対抗軸として小田切氏が唱えているのが、「田園回帰」である。田園回帰とは、「単純に農山村移住という行動だけを指す狭い概念ではなく、むしろ農山村に対して国民が多様な関心を深めていくプロセス」(小田切,2014,p176)である。小田切氏は、「都市と農山漁村共生・対流に関する世論調査」(内閣府)において、「農山漁村に対する定住の願望を持つ人の割合」が2005年と比べて2014年は大きく上昇していることに注目している。特に、その割合が団塊の世代よりも若者、そして女性においても上昇している点を強調し、田園回帰の主体が変化していることを指摘している。ただし、このような「移住」に対してよくある批判としては、「移住者などごくわずかなもの」であり、細い糸にすぎないというものである。小田切氏は、これを「糸くず論」と呼び、移住者に対して過小評価をしていると述べる。実際に小田切氏の主張を裏付けるデータとして、国土交通省「国土のグランドデザイン2050」(2014)の資料から、山間地域のモデル地区(人口1000人)の将来人口と高齢率の2050年までのシミュレーション(推計方法は藤山浩「中山間地域の新たなかたち」による)を行ったところ、一年に4家族が移住すれば、人口は減少するものの、高齢化率は減少していくという結果が出ている。田園回帰は、十分に期待していい現象として、小田切氏は指摘する。

 次に、農山村の実態についても解説している。おなじみ大野晃の限界集落論は、65歳以上の人口が50%を超えると限界集落化してしまうというものだが、50%という見積もりはあまりにも低すぎると小田切氏は指摘する。50%を超えてもなお集落の機能は低下しない時期が続くという。しかし、やはり徐々に集落の機能は低下し、ある時点において「臨界点」を迎え、その「臨界点」を迎えると、集落は本当に「限界集落」化してしまうのである。特筆すべきは、その「臨界点」は、住民の自らの地域に対する「諦め」の気持ちが蔓延したことをもって到達すると述べており、住民の心理的な変化に注目して農山村の実態を明らかにした点である。

 それゆえ、地域づくりは、消滅への危機意識ではなく、地域に対する「誇り」を再生し、当事者意識を持ってもらうことが重要視される。そのため、農山村再生のフレームワークである、①主体形成、②場の形成、③持続条件の形成は、「徹底したボトムアップ」をキーワードに設計されるのである。また、これら地域内での取り組みの他に、都市農村交流についても、言及している。交流は、外貨を獲得するという効果の他に、鏡効果といって農村の「宝」を写し出す効果もあり、これらが「交流循環」することで貨幣的価値や文化的価値、環境的価値、人間関係的価値など「新しい価値」の更なる上乗せが期待できると述べている。

 最後に、これらを体系的にまとめた実践として、鳥取県智頭町の「日本ゼロ分のイチ村おこし運動」を参考にしながら、農山村再生の戦略を述べている。農山村再生へのプロセスは、①事業準備段階、②逆臨界点、③事業導入段階に区分され、特に①の事業準備段階は長い時間を要するという。それは、一見してムダな時間に思えるかもしれないが、そのムダこそ、重要であると主張する。残念ながら、講演では時間の関係でほとんど飛ばされてしまったが、小田切(2014)から補足すると、その事業準備段階においては、もっぱら寄り添い型の地域支援が行われ、「再生」や「復興」という目的は掲げられないのである。このような目的を志向しない「遊び」のような時間を過ごす内に、集落住民の内発的な取り組みが生まれ、将来への夢や希望が描かれ、②逆臨界点に到達するのである。そして、③事業導入段階に入っていくのである。小田切氏は、地域再生に「V字回復」はあり得ず、底の部分が非常に長い「U字回復」を目指すべきであると主張し、講演会の幕を閉じた。

 

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◯講評

 「農山村が消滅しない」先に、どのような社会があるのか。小田切氏は、「国内戦略地域である農山村を低密度居住地域として位置づけ、再生を図りながら、国民の田園回帰を促進しつつ、どの地域も個性を持つ都市・農村共生社会を構築する」と述べている。しかしながら、小田切氏の主張は、「農山村への移住者の増加」ということの効果に注目した、もっぱら農山村の視点からであって、「都市の持つ魅力」などのような都市の視点からはほとんど語られていない。そのため、「農山村が消滅しない」ということはわかったが、都市と農村の関係についての示唆は得られなかった。もちろん、今回の講演会も著作も、「地方消滅論」に対する反論であるため、都市と農村の関係が主要な論点でないことは理解できるので、次回作に期待したいと思う。

 また、田園回帰の傾向に期待するのであれば、やはりその困難も明らかにすべきである。農山村への移住者の増加に焦点があたっているが、移住者が全員すんなりと農村に定住できるとは思えない。「すさまじい<争>社会性こそムラのエートス」という村田(1989、『新装 ムラは亡ぶ』)の言葉を思い出せば、「あたたかい農村」を期待した移住者が、ムラにとけ込めず都会に戻るケースも十分に考えられる。田園回帰が単に移住という行動だけではなく、農山村への関心を深めることであるなら、なおさら農山村への固定化されたイメージは払拭されなければならないだろう。農山村の現在の60代前後の住民は、高度経済成長期に若くして出稼ぎなどで都市へ労働者として移住した人も多く、都会的な考え方を持っている人も少なくない。もしくは、ムラではすぐに情報が噂で広がることから、密なコミュニケーションがあるかと思いきや、世代間のコミュニケーションは意外にも少なく、目の前の家の子どもの名前を知らないといったこともある。小田切氏の農山村への語り口は、そのような現実を無視し、ステレオタイプ化されたいわゆる「農山村」を描きすぎているとも言える。田園回帰が行動だけを表しているのではなく人々の関心をも表しているということは、この概念の面白いところでもあるが、十分に取り扱いに注意すべき点でもあろう。

 最後に、農山村と集落の関係である。将来人口と高齢率をシミュレーションする際に用いた山間地域のモデル地区は、人口1000人で高齢化率50%の地域である。これが、一年に4家族の移住者を呼び込めば、2050年には700人前後の地域になり、高齢率は30%以下になり、低密度居住地域になるというが、「300人減ったことをよしとする」ことの説明がされていない。300人も減れば、農山村はなくならなくても、集落は消滅する可能性がある。集落ごとで独自の文化が育まれてきたことを思えば、集落が亡くなってしまう可能性があることへの説明はされなければならないのではないか。

 以上が、あえて批判的に書いた感想だが、全体としてはかなり面白かった。特に、臨界点を単に人口や高齢化率の問題にするのではなく、人々の心理的な状態を基準にしたのは大変興味深かったし、事業準備期間としての無目的な「遊び」とも言える時間の重要性に言及していたのは、今後さらに発展的に考察していきたいと思った。そしてあまり関係ないが、講演会の会場が高密度高年齢だったのがとても印象的だった。

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◯参考文献

田切徳美(2014) 農山村は消滅しない 岩波新書

星野伸一(2011) 限界集落株式会社 小学館

村田廸雄(1987) ムラは亡ぶ 日本経済評論社 

想像ラジオ

去年、初めて何かの本について自分が考えたことや感じたことをまとめたのが、

想像ラジオだった。

 

今読み返してみると、とても恥ずかしい書き方をしているが、

きっとその時は、そんな「感じ」の方がいいと思ったのだろう。

 

編集したい気持ちがこれ以上強くならないうちに、

貼りつけて公開してしまおうと思う。

 

想像ラジオ

想像ラジオ

 

 

 本書は、東日本大震災を題材に、2つの物語が並行に、交互に進められながら、徐々に一つの物語に収斂していくという形式で構成されている。1つは、死者たちの物語。もう1つは、生きている者たちの物語である。そして、この二つの物語をつなぐのが、本書のタイトルでもある、想像ラジオ(想像力)である。物語は、死者のD.J.アークと、生きているSさんの一人称のスタイルで、登場人物たちとのコミカルな会話を通してテンポよく進められる。これから私が書くレビューも、はっきりいって想像で書かれたものなので、想像力のある人にしか読めないかもしれない。なので、今から私が合図を出そうと思う。それが聞こえた幸運なあなたは、そのまま読み進めていっていただきたい。では、どうぞ。

 

想―像―ラジオー。

 

 読み進めていらっしゃるあなたは、想像力のある人ということで、お聞きしたいことがある。想像力とは、一体なんなのだろう。本書の登場人物は、死者の世界と、生者の世界を、それぞれの世界からなんとか想像力でつなごうとしている。しかし、往々にしてうまくいかない。本書が言わんとする想像力について考察するため、唯一最初から想像力のある人物として描かれているガメさんに注目してみよう。

 D.J.アークとは違う、もう一人の主人公Sさんと、東南アジアの島にいったときである。そこで、傷の入ったセダンに乗ったギャングに女やクスリを進められるが、ガメさんが断り、そして一言。「誰もがお前の欲しいものを欲しがるわけじゃないんだよ。」普通なら、ここで険悪なムードになるところだが、ギャングが、「じゃあ何が欲しいのか」と聞くと、「そんならメシを食おう」という。ここからが非常におもしろい。ギャングの家に行くと、目につくのは、前庭に咲き誇る花。妻が園芸好きだとどこか誇らしげに言うギャング。そして、妻の料理を食べたらもう日本に帰れないぞと、これもうれしそう。ギャングは、表では悪ぶっているが、実は家庭を愛する情の厚い男だったのだ。ガメさんは、ギャングの二面性を理解していたのだろう。

このあと酔っ払ったギャングは、自分の愛する娘に、ガメさんの酒を注がせる。「いつかお前の仕事になるかもしれないから」と。Sさんは、自分の娘に対してのあまりにもひどいものいいに、頭に血を登らせながら憤るが、ここでのガメさんの対応も秀逸だ。怒るでもなく、なだめるでもなく、ただ、ギャングを連れて部屋の外へ出て、ギャングの話を聞いてやるのだ。しまいには、ギャングは感激し、ガメさんを抱きしめてしまう。ついに二人で何を話したかは、作中では明かされないが、大方こういうことだろう。無理してボロボロのセダンに乗るギャング、女やクスリに明け暮れているかのように振る舞うギャング、突っ張るのはそれはそれでいいが、自分の愛する娘をそのために使ってはいけないよ、と。

 ガメさんには、想像ラジオが聞こえる。それは、想像力があるからだ。しかしながら「想像力」とは言うものの、それは能力ではないことがわかってくる。姿勢とも言うべきものかもしれない。ギャングのエピソードのあと、ボランティアへ向かう途中の車内でのエピソードかある。若者のナオ君と、宙太、そしてコー君の、被災者への接し方についての議論である。

 ナオ君の主張はこうだ。生きている人のことを第一に考えなくちゃいけない。そして、どうあっても部外者であるボランティアの自分たちが、死者についてあれこれ考えるのは、本当の家族や地域の人たちに失礼だ。しかしながら、宙太はこう切り返す。死者の声に耳を傾けようとすることを、禁止することはできない。どちらの意見も一理あり、納得できるだろうが、本書がおもしろいのは、この二人には、死者の声が聞こえていないというところである。二人が熱く議論している横で、コー君は、想像ラジオが聞こえると切り出す。この違いはなんなのだろう。

 ナオ君に死者の声が聞こえないのは、納得できる。彼自身、考えてはいけないと思っているからだ。しかしながら、宙太の場合、被災地でのボランティアを通して経験したことから、様々なことを考えて、やはり、死者の声に耳を傾けようとしている。にも拘わらず、彼には聞こえず、なんとはなしに二人の話を聞いていたコー君に、想像ラジオが聞こえるのだ。振り返れば、コー君は実は、ガメさんが病気を抱えていることを、Sさんにだけ打ち明けた。Sさんの親が、ガメさんと同じ病気で亡くなったことは、知らせてはいないはずなのに、だ。

 この物語に登場する生きている人の中で、想像ラジオが聞こえるのは、ガメさんと、コー君だけである。そして、この二人には、やはり何かを察するということの他に、自然体であるという点で共通しているように思う。

 想像力とは何かについて考えてきたが、それは、自然体でいるということに関係しているように思える。何かを語ろうとする人も、聞こうとする人も、それに必死になればなるほど、想像力は損なわれていくのである。だから、本当の意味で死者の声に耳を傾けるというのは、自然体でいるということであろう。

 妻と息子に呼びかけようとして始めた想像ラジオも、実は最後まで呼びかけることはできなかった。それは、まさに想像力が足りなかったからである。しかしながら、最後、語るのではなく、自然な気持ちで耳を澄ませることで、妻と息子の声を聞くことができた。この姿勢こそが、想像力といえるだろう。

 長々と書いてきたこのレビューも、そろそろ終わろうと思うが、最後に一つだけ。本書が伝えたかったことは、何も東日本大震災に限った話ではない。現代社会に足りないもののひとつ、それが想像力ということだ。私も、日々自然体でいることをこころがけていきたいと思う。ということで、最後にお馴染み。

 

想―像―ラジオー。

「悼む人」の不快な読後感を大切に。

「悼む人」が映画化されるということで、小説を先におさらいしておこうと思った。

映画化しても、月並みなメッセージに回収されないような、不快な作品であってほしいと思う。

 

悼む人〈上〉 (文春文庫)

悼む人〈上〉 (文春文庫)

 
悼む人〈下〉 (文春文庫)

悼む人〈下〉 (文春文庫)

 

 

以下、感想文。

 

 本書は、「オール讀物」で2006年10月号〜2008年9月号まで連載され、2008年に単行本が出版、そして2011年5月に文庫本が出版された。本書が執筆される直接の契機は、9.11後のアフガニスタンへの報復攻撃によって、多くの人々の死が次々と報道されつつも、その死に悲しむということが忘れられている現状に対して、著者である天童荒太が違和感を持ったことにある。

 

 そして、2011年3月11日、大きな揺れが東北地方を襲い、大勢の人の命が波に奪われた。その際書店は、「本屋の村の仲間たちの輪」という独自のネットワークを形成し、当時書店にできることとして、今こそ人々に必要とされている文学は何かと考えたときに、「悼む人」が選ばれた。「悼む人」はまた、多くの人々に読まれることになった。

 

 文庫版には、4件の書評が掲載されているが、どれも2008年に書かれたものである。そこで本評では、3.11後に本書を読んだならば、本書はどのように語られうるかについて考えたい。

 

 まず、本書は、はっきりいって未完成な作品である。「死」という本書のテーマに対して、作者自身が答えを出し切れていない。それどころか、「どうとらえたらいいかわからない」中で手探りをしているという感じが、ひしひしと伝わってくる。だから、本書の読後感は、不快である。見ず知らずの人の死にずかずかと入り込み、勝手にその人を解釈され、勝手に「悼む」という不快な行為をする主人公につきあわされる。物語としては一応終結の体をとるが、テーマは宙ぶらりんのままである。伝えたい主張が見つからないまま、テーマに対する答えを出すことを巧妙にさけている。そんな印象だった。

 

 しかしながら、本書の中で唯一はっきりしているのは、「ただ悲しむことを忘れないで」というメッセージである。死者に対する悲しみは、すぐにほかの感情に取って代わられる。事件の記憶を聞けば、恨みや怒りが、死者への悲しみを濁らせる。だから、死者の生前の記憶、つまり「誰に愛され、誰を愛し、どんな感謝をされたか」を尋ね、そのかけがえのない生があったことを覚えておき、それが失われたことを「悼む」ことが重要なのである。

 

 本書からは、これ以外のことはわからない。いろいろな物語が並行して進んでいく形式をとっており、他人の死をあつかった記事を書いて飯を食っているもの、死を宣告され自分の死と向き合っているもの、夫を殺し、死を背負って生きるものの3者の視点から、「悼む人」が描写されているが、「悼む人」の不快な行為の謎は一向に解けない。結局、「悼む人」は、筆者自身でさえ得体の知れないものであり、死にまつわる3者を登場させたのは、いろんな死に関わった人から見れば、理解ができるかと試みた結果であり、その試みは見事に失敗に終わったと言える。

 

 だが、本書は、この模索中の段階で出版したということに大きな意味がある。そもそも、「死」というテーマに対して明快な答えを出すことはできないし、なるほど…と腑に落ちた瞬間こそ思考停止の罠に陥っていると言える。その意味では、「死」に対して明快な答えなど与えられないという不快な憂鬱を描いている点で、本書は成功している。

 

 9.11の際、本書は「悲しみ」を思い出すための本として、人々の心を癒した。それは、テロと、それに対する報復戦争という、死者への悲しみよりも、それをもたらしたものへの怒りや恨みが蔓延していた状況に対する警笛だったのかもしれない。そして、3.11後にもう一度本書は生まれ変わる。「死」に対し、「ただ悲しむしかない」という無力さに喘ぐ主人公が、誰がもたらしたものでもない死に途方に暮れる読者と重なることによって。

 

 本書は、一つの答えを出さないことが、誰かの「答え」になるということがあるということを教えられた本であった。いつ読んでもいい、どこで読んでもいい。本書は、手に取ろうと決めた「そのとき、その場所」に、答えを開いている。

 

震災20年目の物語

 神戸という街は、僕にとってやはり、特別な場所だと思う。もちろん、記憶が集積しているというような、故郷的な意味合いではないし、特別に親しい友人がいるというわけでもない。それは、僕が生まれた大阪から近くて遠い、情報だけはよく入ってくるといような場所だ。僕の生とは交わらない生が営まれているということを、いつも身近に感じられる街だといってもいいかもしれない。

 
 こんなことを言ったら多くの防災研究をしている学者や、震災の恐ろしさを伝える語り部の方々に怒られそうだが、自分自身が災害に会うということは、どうしても想像できない。それは、僕が大阪という街に生まれ育った事と関係しているかもしれない。大阪という街は、大いなる力を宿した不可視の守護神たちが、常に切れ目ないシフトを組んで外的な力から人々を守っているのではないかと思うほど、台風は大阪の直前で突然その進路を変えるし、川の水位の上昇は決壊ギリギリのところで止まる。テレビの気象予報だけは、年々エスカレートしていくようで、特別警報が出たり、避難勧告が出されたりして、その度にハラハラと不安を抱きながらも、終わってみれば、「なんだやっぱり大丈夫だった。」という若干の安堵感を抱き、また変わらない日常に戻っていく。

 こんなことを考えてしまう僕だから、隣街の特別な日には、そわそわと居心地の悪い思いをする。それは、実際には見知っていない遠い親戚のお葬式で、厳粛な空気をやけに意識してしまうときの嫌な感覚に似ている。あるいは、簡潔に同調圧力といってしまう人もいるかもしれない。要するに、全体としての空気感になじめず、結局それを相対化することでしか自分を保つ事ができない物哀しさを、全面的に引き受けなればならいのが、僕にとっての1月17日である。

 今年は、阪神淡路大震災から20年目の年だ。毎年追悼式が行われている東遊園地では、早朝から午後にかけて、過去最高の約7万5千人がその場に足を運んだ。僕自身も当日、5時56分に手を合わせようと東遊園地に来ていたが、あまりの人の多さに、流石に辟易していた。それでもなんとか公園の中央部に入り込み、灯をともして祈りを捧げることが出来たのは、あるいはラッキーだったのかもしれない。それほどまでに、人の壁は分厚かったし、追悼式はある種のカウントダウンのように慌ただしく感じられた。

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 ここで強調しなければならないのは、僕自身が断じて震災の「当事者ではない」ということだ。僕は確かに追悼の場にいたし、手を合わせたが、祈りを捧げる先がいつもぼやけて見えない。目の前にオレンジ色に輝く「命」や「絆」と書かれた竹灯籠を前にしても、僕の耳は無情にもカメラのシャッター音を正確に拾い上げていく。これはどうしようもないことなのだ。そしておそらくは、その場を訪れた約7万5千人の内の多くの人も、それに近いような感覚を抱いたのではないかと思う。あるいは、割り込んでくる見知らぬおばちゃんに腹を立てていたかもしれないが。このようにして、隣街の特別な日は、結局20年目も僕にとってはただ物悲しいものとして過ぎ去っていった。

 僕がこの日感じたことを言葉に当てはめるなら、「記憶の風化」ではないかと言ってみる。というか、奇妙なことを言ってしまえば、やはり記憶は風化しない。記憶は雨風に晒されたわけではないし、そもそもが建物のように風化するものでもないのだ。ただ人々の間で、「記憶の風化」があるだけである。あるいはギャップのようなものかもしれない。阪神淡路大震災という言葉に対して、具体的な体験をどれだけ思い起こすことが出来るかという程度のギャップである。震災を実際に経験した人と、僕のような「父が倒れてくるタンスを必死で押さえているシーンだけは覚えています。」と不思議と誇らしげに宣言しないといけない隣街の若者とでは、程度の差は歴然である。そしてその程度の差を感じることそれ自体が「記憶の風化」だと思う。

 であれば、東遊園地での追悼式などは「記憶の風化」を助長する最たるものである。祈りの正式な意味が「死者」に向けられたものだとするならば、身動き取れないほど集まった群衆の中で、どれだけの人が正式な意味での祈りを捧げることができたのだろうか。疑問を抱かざるを得ない。少なくとも、急病人を助け出すための救護班が通る道さえも空ける事が出来ない混乱の中、「病人出てんねんぞ!はよどかんかい!」と怒号が飛び交う場所に、「死者」はいない。僕たちはこぞって形式的な祈りを捧げ、シャッター音に耳を澄まさなくてはならないのだ。

 

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 あるいは、その場にいる全員が、その場になじんでいなかったといってもいいかもしれない。ある意味でその場にいる全員が、「厳粛であれ」と東遊園地の上方から命令を下す神を目撃したと言っても過言ではない。もっと言えば、その場に訪れたほとんどの人は、神を目撃しにきたのかもしれない。あくまで異和的に。それは、いつまでかき混ぜても溶け合わない、コーヒーに入れた冷えすぎたミルクのように、温度差に凝固して表層をゆらゆらと漂うかのようだ。それほどまでに、東遊園地に20年前から宿る神は強大な力を持っていて、その輪郭は明確であった。「記憶の風化」は、神と僕たちとの温度差のことではないか。

 もしくは、神は怯えているのかもしれない。忘れ去られてしまうということを。だから、「忘れないでくれ」となかばせがむような気持ちで、その存在感を強固にしているのだろう。ちょうど家で留守番をすることになった子供が、親に再三帰りを確認するかのように。だから僕たちは、「安心していいよ」となだめたり、「お疲れさま」と声をかけなければならないと思う。もう20年も神様は頑張ってきたのだ。そろそろ肩の力を抜いて、リラックスしたっていいじゃないか。誰もとやかく言う人はいないさ。それが震災のことを忘れ去ってしまうことでもないし、記憶が風化するわけでもないのだ。「記憶の風化」が僕たちの関係の問題だとするならば、神様だけが頑張りすぎることもないのだと言ってやらねばならないのではないか。そして神とは、集合的な僕たちのことだろう。

 震災20年を迎えて、当時を知るものは少なくなった。それは良くも悪くも仕方のないことだと思う。隣街じゃなくても、僕みたいな考えを持つ人も増えてくるだろう。どうあっても無責任なことしか言えないが、それでもやっぱり神戸は特別な街だし、阪神淡路大震災は僕たちにとって共有された物語である。たとえそれがアンチクライマックスな物語で、今後大きな盛り上がりが期待できないとしても、なだらかに次章は紡がれていくし、僕らはその物語の登場人物として(それがキャラ立ちしないたわいもない役だったとしても)、今後も生を営んでいくのだ。

 1月17日から一週間が経とうとしているが、まだ一週間しか経っていないのかと感じるくらい、だいぶ以前の出来事のように思える。僕は、体験した事を出来るだけすぐに書き記しておきたいという時と、少し時間を置いてからしか書けないなという時があるが、今回は、おそらく後者であった。普段なら、一ヶ月くらいは時間を置くのだが、どういうわけか、今日自然と言葉にしておこうと思い立った。僕のお気に入りの天王寺は、相変わらずイルミネーションが綺麗で、寒すぎる事もない外気に、恋人たちや仕事終わりのサラリーマンが、僕の知らない目的地を目指している。神戸であろうと、一緒だろう。震災から20年を迎えたとしても、僕たちはその延長線上で、それぞれの物語を紡いでいけばいい。それでいいんじゃないですか?神様。