文豪の紀行文を読むこともまた味わい深い

Reviewer: 崎浜公之

Date:2016.4.6

Author: 村上春樹

Year:2015

Title:ラオスにいったい何があるというんですか?

Source: 文藝春秋

Index:

チャールズ河畔の小径―ボストン1

緑の苔と温泉のあるところ―アイスランド

おいしいものが食べたい―オレゴン州ポートランドメイン州ポートランド

懐かしいふたつの島で―ミコノス島、スペッツェス島

もしタイムマシーンがあったなら―ニューヨークのジャズ・クラブ

シベリウスカウリスマキを訪ねて―フィンランド

大いなるメコン川の畔で―ルアンブラハン(ラオス

野球と鯨とドーナッツ―ボストン2

白い道と赤いワイン―トスカナ(イタリア)

漱石からくまモンまで―熊本県(日本)

あとがき

 

Comments

 

文豪の紀行文を読むこともまた味わい深い。

 

普段はクールで含蓄に富んだメタファーたっぷりの文章を書く村上も、紀行文となれば旅先で得た感動や知見を素朴に描写するに徹している。これを読めば、小説作品の文章とはずいぶん違った印象を受けるに違いないだろう。そして注意深く読み込めば、紀行文にはやがて小説作品の骨子を担うことになる様々なエピソードが散りばめられていることに気づく。

 

例えば、村上作品の主題が大きく転換し、後期村上作品の端緒と評されている「ねじまき鳥クロニクル」は1993年に出版されているが、執筆にあたり1991年に訪れたノモンハンの鉄の墓場が大きく影響している。そこで村上は、生々しく残された戦車や砲台の跡を目にし衝撃を受ける。この衝撃は紀行文「辺境・近境」にまとめられることになるが、小説作品では後期村上作品の最大のテーマである「根源的な悪」として象徴的に登場することになる。私たちは、紀行文と小説を行き来することで、二つを貫く根幹的な主題に気づいていくことができるのだ。

 

そういう意味で、文豪の紀行文を読むことはまた味わい深いのだ。 紀行文を読めば小説作品に対する発見があり、小説を読めば紀行文に起源を辿ることができる。何度も重ねて行くごとに味は深まり、濃厚な読書体験をすることができるだろう。

 

先に紀行文から読むという手もある。今回がそうだ。

まだそれに該当する小説作品が出ていないためである。

 

ラオスにいったい何があるというんですか?」の中では、メコン川の畔のルアンブラハンという町で、村上が宗教の物語性に驚くシーンがある。なんでも、その町ではほとんどの住民が、縷々伝わる数多くの宗教の物語をほぼ完璧に暗記しているのだ。宗教の物語は信仰する者にとって世界認識の規範や思惟の源泉となるものなので、共有していることが前提となっているのである。このため、住民がかくも数多くの物語を共有していると村上は考察している。

 

このような旅先での考察は、折に触れて小説作品の中で取り上げられていくだろう。それがどのような形で表象されるのかは、現時点では村上自身にもわからないだろう。しかし、今後出版される小説作品の中で、「あ、ここはラオスでの体験のことを言っているな…!」という発見をしたときの、まるで宝物を探し当てたような喜びはまさに読書の醍醐味といっていいのではないかと思う。そしてそのような発見をしてしまえば、また紀行文を読み返し、小説作品を読み返しと、まるで底知れない螺旋階段を下るように、村上世界の深奥への旅を始めなくてはならないのだ。

 

さぁ、読書の旅を始めよう。

まだ、どのような小説作品に行き着くかわかっていないこの紀行文から。

行き先のわからない読書なんて、まさに旅ではないか。